
日本銀行兌換券50円と200円について、わかりやすくお伝えします。

どら猫くん、今日は人物画のないお札だよ。
今日の勉強はすぐ終わりそうだなー♬

目次
日本銀行兌換券50円・200円


紙幣の説明
昭和2年に発行された日本銀行兌換券50円と200円だ。
裏面は何も印刷がされていないお札なんだよ。

なぜ、こんな粗末な紙幣が発行されたのか昭和2年の出来事を見てみよう。
昭和2年の出来事
第一次世界大戦後の輸出や産業の低迷と、大正12年の関東大震災の影響で日本は大不況だった。
関東大震災の影響で、たくさんの銀行が滞った手形支払いに追われた。
日本銀行が震災手形割引損失補償令公布により、借金している銀行へ4億3082万円の特別融資を行った。
諭吉先生ストップ!
オイラ理解できなかったぞー。


うむ…経済の説明は難しいので、絵で説明しましょう。

➡は、どら猫くんから貰った手形を呈示
➡は、一定期間経過して西郷ドンに支払うお金
まず、手形というのは支払いを先送りできるシステムなんだ。
支払い期限が2~3カ月先送りになることで、その間に資金準備をすることができる。
お互いに銀行との取引も必要になり、信用上の問題で経営状況が良い会社しか利用できない。
関東大震災の影響で返済をできなくなった会社が多く、手形の金額が宙に浮いた状態になったんだ。
取引会社のお金が入ってこないので、銀行(絵でいう銀行A)も支払いができなくなった。
支払いしてもらえない会社や銀行は潰れてしまうぞー。


急を要する銀行へは日本銀行が融資をしたが、返済は半分しかできなかったんだ。
そんな混乱した時に誤った情報を流してしまった人物がいた…!!

大蔵大臣の片岡直温(かたおか なおはる)だ。
破綻していない銀行なのに「東京渡辺銀行が破綻した」と失言してしまったのだ。
片岡蔵相の言葉に驚いた国民は、あちこちの銀行へ取付けをしに殺到した。
取付けってなんだー?

銀行へお金を預けている人が、全てのお金を引き出しに行くこと。
国民が不安になって取付け騒ぎを起こし、金融恐慌を引き起こしてしまったんだ。
東京渡辺銀行は金策に成功していたのに、片岡蔵相の失言により本当に破綻してしまった。
え…それは大変なことになったぞー。

経営困難に陥った多くの銀行が休業に追い込まれた。
他にも金融恐慌の煽りで、日本の大きな商社である鈴木商店が破産した。

台湾銀行の7割の手形は鈴木商店のもので、返済ができずにいた。
台湾銀行は台湾を支配するために日本政府が作った銀行なんだよ。
そして金融恐慌で、その台湾銀行からの新規融資を断られ破産。

この事態の責任を取って片岡蔵相のいた若槻礼次郎の内閣は総辞職したんだよ。
若槻総理大臣が可哀想だぞー。

そして、田中義一内閣が誕生した。
新内閣の大蔵大臣に就任した高橋是清(たかはし これきよ)は、少しでも銀行が楽になるようにと紙幣を大量に刷ることにした。
緊急に刷られたので、裏面は真っ白だったんだ。
あれ?それって…

そう。今日のお札『日本銀行兌換券』だ。

200円札は発行されたが、50円札は実際には発行されなかったんだよ。
他にも『モラトリアム』を実施した。
金融恐慌を鎮めるために、銀行の手形決済や預金の払い戻しを3週間止めて猶予を与えること。
(銀行救済の策)
こういった経済政策で、金融恐慌は収まることができた。
この話の続きは次回の『兌換券』で話そう。
【日本銀行兌換券50円・200円】まとめ
①発行日と廃止日
②発行年に起こった出来事
①発行日と廃止日
日本銀行兌換券50円【発行】昭和2年4月25日【廃止】昭和21年3月2日
日本銀行兌換券200円【発行】昭和2年4月25日としていたが発行されず。
②昭和2年に起こった出来事
- 金融恐慌

日本銀行兌換券が発行された年は大不況だったね。
大蔵大臣の間違った言葉一つで、日本が崩れるなんて怖いぞー。

現在の政治家も失言だらけだが、ここまで日本を変える失言は二度とないだろうね。
次回は、続きの話になるぞ。
次回もお楽しみに!
参考文献:日本貨幣カタログ2019,お札になった人々,詳説 日本史図録,Wikipedia