![刀](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/2aad63bd026f00c6ebb631496469c0fd_s.jpg)
明治6年に発行された旧国立銀行券2円(2円札)に描かれた人物や出来事について分かりやすくお伝えします。
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
今日は2円札についての勉強だ。
ん?どら猫くん、今日も予習で寝不足かね?
昨日はフビライ兄貴に、両国の案内していて勉強してないぞー。
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/どらねこ-1-300x174.png)
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
まぁ、良いことをしているのでヨシとしようか。
では、今日も頑張りましょう!
目次
旧国立銀行券2円
![旧国立銀行券2円](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/IMG_1431-1-1024x928.jpg)
旧国立銀行券2円は旧国立銀行券1円と同じ明治6年発行なので、紙幣の説明と明治6年の出来事は省略させて貰うぞ。
旧国立銀行券2円に描かれたもの
表と裏に分けて説明していくよ。
【表】新田義貞と児島高徳
【裏】宮城
【表】新田義貞と児島高徳
![旧国立銀行券2円表](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/旧国立銀行券2円-表-1024x469.jpg)
まずは、新田義貞から説明しよう!
新田義貞は1301年くらいに生まれ鎌倉時代後期~南北朝時代に活躍した武将だ。
本名は源義貞(みなもとの よしさだ)で源家の人なんだよ。
足利氏と並ぶ武家を統制する力のある家系だった。
新田貞義は、当時の天皇・後醍醐天皇に忠誠していた。
後醍醐天皇は【倒幕】を計画し、2回も試みたが失敗(正中の変・元弘の変)していた。
その時、義貞は大番役といって京と鎌倉を警護していたらしい。
2回目はさすがに許されなくて、鎌倉幕府によって後醍醐天皇は島流しにあうんだ。
だが、悪党たちに助けられて島を脱出する。
島流しって本当にあったんだ!
ところで、なんで後醍醐天皇は幕府を壊そうとしたんだー?
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/どらねこ-1-300x174.png)
鎌倉時代は天皇(朝廷)の権力が弱まっていて、幕府が実権を握っていたからだよ。
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
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新田義貞さんですよね?ゲストにお越し頂きありがとうございます。
またスゴイ人が来たなぁ。
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一方、鎌倉幕府は幕府メンバーの足利高氏(尊氏)に「天皇を討て」と言い南朝に派遣させる。
南朝というのは後醍醐天皇の吉野朝廷のことで場所は現在の奈良県吉野になるよ。
ところが、足利高氏は天皇に寝返ってしまうんだ。
(新田義貞と同じ天皇側につく)
1333年、新田義貞は各地の武士を集め鎌倉幕府の北条氏を包囲し倒幕に成功した。
その人数は10万人にも達したそうだよ!
めでたく後醍醐天皇のもくろみ通り天皇主権の政治になった。
これを【建武の新政】というよ。
新田義貞の役職は【武者所】で仕事内容は大番役と同じである。
10万人?!オイラは野良猫を10万匹集めるとか無理だぞー。
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![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
確か、包囲された北条高時たちは東勝寺で800人くらい自刃(じじん)したと聞いたが…。
この時、とどめを刺しておけば良かったよ。
まだ北条氏の残党がいたんだ。
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
北条高時の息子・時行ですね?
倒幕した鎌倉には、足利尊氏の弟・足利直義が【建武の新政】の役職である鎌倉将軍府として滞在していた。
1335年、そこに北条時行が率いる軍が攻め込み足利直義の軍は敗退。
これを【中先代の乱】という。
弟想いの足利尊氏は、後醍醐天皇に「鎌倉へ行かせてくれ」と頼んだが無慈悲にも反対されてしまう。
なぜならば後醍醐天皇は、尊氏が勢力をつけてしまうことを恐れて嫌がったんだ。
また武力政権になってしまっては困るからね。
オイラ、後醍醐って奴キライだぞー!
ところで…さっきなんで名前が高氏⇒尊氏に変化したの?
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/どらねこ-1-300x174.png)
どら猫くん、良く気付いたね!
元々、高氏の『高』は北条高時から1文字貰っていたんだが、建武の新政後に後醍醐天皇の諱(いみな)から1文字貰って『尊』に変わったんだ。
敵となり倒した北条氏の名を名乗りたくなかったのかもしれないね。
あのぅ…今日は拙者の回と聞いていたんだが、もう出番はないのだろうか?
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
あっ、あります!申し訳ない。
尊氏は弟の軍を救いに天皇の命令を聞かずに鎌倉へ行った。
そして兄弟とその軍で北条時行を制圧し、再び鎌倉を取り戻した。
そのまま鎌倉にとどまり、足利兄弟は後醍醐天皇と対立する。
ここで、新田義貞の出番。
後醍醐天皇に足利尊氏を討つよう命じられて鎌倉に向かったが、すでに兄弟は不在で作戦失敗。
あー、思い出した。
この先良いことないわ。
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
1336年、湊川の戦いで南朝は足利軍と戦い、味方の楠木正成の軍は敗退してしまう。
1338年には50騎の兵を率いて、足利軍の斯波高経(しば たかつね)らの元へ向かっていた。
しかし、その途中に斯波の軍300騎と遭遇してしまい、水田に追い込まれ足を取られているうちに矢の乱射を受け亡くなった。
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
新田さん…最後まで後醍醐天皇のために頑張ったのですな。
そんなあなたにも死後に良いことがありました。
時は過ぎ去り江戸時代、地を耕していた百姓の嘉兵衛が兜を見つけた。
それを芋桶に使っていたところ…
芋桶にしてたのか!オーイ嘉兵衛さんよ。
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/どらねこ-1-300x174.png)
芋桶…。
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
兜を芋桶に使っていたところ、福井藩の軍学者・井原番右衛門が目にし新田義貞の兜と判明した!
その後、福井藩主の松平光通が発見された場所に新田義貞の石碑を建てた。
明治時代に石碑近くに新田義貞を祀る藤島神社が建てられたそうだよ。
藤島神社公式ホームページhttp://fujishima-jinja.jp/
なんと…そなた本当か?
拙者の石碑に神社まで…芋桶は悲しいが見つけてくれた嘉兵衛には感謝する。
![新田義貞](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/新田義貞2.png)
新田義貞についてはここまで!
さぁ、次は児島高徳の授業をしようか。
児島高徳(こじま たかのり)は生まれた年は不明とされているが、新田義貞と同じ鎌倉時代後期~南北朝時代にかけて活躍した武将だ。
児島高徳も後醍醐天皇側の武将だった。
1333年、新田義貞らにより鎌倉幕府は倒幕した。
そして後醍醐天皇の命令で京都の六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻撃するために、千種忠顕(ちくさ ただあき)を総大将とし児島高徳も一緒に先発隊として向かった。
ろくはらたんだい?それはなんだ?楽しい遊びかなー?
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/どらねこ-1-300x174.png)
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
鎌倉幕府の役職で、京都を守っていた北条氏がいたんだ。
執権の次にえらい役職だったんだよ。
先に六波羅探題を攻撃していた赤松則村(あかまつ のりむら)と合流し戦っていたが、児島高徳と千種忠顕は作戦で意見がぶつかってしまい、高徳は別行動し布陣していた。
布陣とは、新しく陣をかまえて整えること。
そして、千種忠顕は策に敗れ敗退してしまうんだ。
その隙に足利尊氏らが六波羅探題を制圧し、布陣していた高徳は何もできずに帰還した。
千種忠顕のせいだな!
六波羅は児島高徳が討ちたかったろうにー!
![どら猫くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/dora.png)
猫よ、そなたは拙者の気持ちを分かってくれるか!
![児島高徳](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/児島高徳2.png)
![諭吉くん](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/ゆきちり-1.png)
あなたは………大島さん!
児島だよ!!!
![児島高徳](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2020/06/児島高徳2.png)
晩年は、出家して志純義晴と名乗ったそうだ。
児島高徳に関して、資料が少なすぎて実在しなかったのでは?という声も上がったらしい。
私も授業をしていて資料の少なさに困ったくらいだよ。
『太平記』にしか出てこない人物のようだよ。
そして『太平記』の作者が小島法師という名で、本人が書いたのではないか?という説も出ているんだ。
【裏】宮城
![旧国立銀行券2円裏](https://nihonshihei.com/wp-content/uploads/2019/09/kyuu-1024x492.jpg)
裏は宮城県の城のようなものが描かれているよ。
仙台城に似ているような似ていないような?
この場所についての情報は不明でした。
分かり次第、再度お伝えするよ!
【旧国立銀行券2円】まとめ
①発行日と廃止日
②発行年に起こった出来事
③旧国立銀行券2円の人物と関係者
①発行日と廃止日
旧国立銀行券2円 【発行】明治6年8月20日【廃止】明治32年12月31日
②明治6年に起こった出来事
- 明治六年政変
③旧国立銀行券2円の人物と関係者
【新田義貞】
鎌倉幕府後期~南北朝時代に活躍し後醍醐天皇に仕えた。
鎌倉幕府を攻撃して倒幕させた一人。
福井県の藤島神社に祀られている。
【児島高徳】
鎌倉幕府後期~南北朝時代に活躍し後醍醐天皇に仕えた。
児島高徳は『太平記』の作者ではないか?といわれている。
【足利尊氏】
鎌倉幕府出身⇒後醍醐天皇につく⇒後醍醐天皇に対抗
鎌倉幕府を倒幕させたあと光明天皇を即位させ、『北朝』という新たな朝廷を開く。
北は光明天皇、南は後醍醐天皇で対立しながら2つの朝廷が存在した。
天皇により征夷大将軍に任命され『室町幕府』をつくる。
【後醍醐天皇】
96代目の南朝初代天皇。
足利尊氏に1文字あげた諱は尊治(たかはる)。
鎌倉幕府を倒幕し建武の新政を設立した人。
足利尊氏に制圧され吉野で南朝を細々と続け、北朝と対立した。
それでは、次回の授業は旧国立銀行券5円について学ぼう。
次回もお楽しみに!
参考文献:日本貨幣カタログ2019,歴史が面白いシリーズ!図解 日本史,日本史年表 萌えて覚える社会の常識,あの偉人たちにも黒歴史⁉日本史100人の履歴書,Wikipedia