

どら猫くん、今日の授業は西南戦争の後の出来事になるよ。
あの後なにが起きたんだ?怖いな。

『西南戦争』を見てない人はこちらに記事があります。
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目次
明治10年の出来事【西南戦争】をわかりやすく会話で知る
新国立銀行券1円が発行された年、明治10年に起こった出来事を会話方式でわかりやすくお伝えします。 諭吉くんどら猫くん、『明治六年政変』を覚えているかね? 西郷どんの征韓論の話だったかなー?反対されて政 ...
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『西南戦争』が終結した後


心友の勝海舟
勝海舟は、西郷隆盛らが亡くなった後の明治10年10月に思い出をつづった『亡友帖』を関係者に配った。
そして遺児となった西郷の子どもたちを海外留学させた。
”賊”(悪者)扱いになってしまった西郷隆盛のために、名誉の回復にも努めた。
その働きが実り、西郷隆盛は賊名を除いてもらっただけでなく『正三位(しょうさんい)』を与えられたんだ。
正三位とは、神道の神に授けられた位階のこと。
西郷隆盛のロシア亡命説
梟首(きょうしゅ=首を切ってさらす)されていないことから民衆の中で「西郷隆盛は生きている」という噂が流れた。
ロシアに亡命したのではないか?と言われていたんだよ。
そして英雄・西郷隆盛の話がどんどん広がっていった。
黒田清隆の事件
明治11年3月20日の夜、西郷隆盛や大久保利通と同じ薩摩藩出身の政治家・黒田清隆の妻が変死した。
黒田清隆は「妻が病死した」と報告。
本当は病死ではなく、酒に酔って遅く帰った黒田を妻が咎めたことに腹を立て蹴り殺したのだった。
この話は、死んだ妻の妹が泣きながら話したそうだ。
この疑いに辞職を免れない状況だったが、ある人の一言で状況は一変した。
「黒田は同郷のもので、そんなことのないことを保証する。この大久保をお信じくださるのなら黒田をもお信じくだされたい」
大久保利通のこの言葉で事件は闇に葬られてしまったのだよ。
人を殺したのに?まじかよー。




警察が再度死因を調べたが、棺桶のフタを少しずらして見ただけで『病死』と決定づけてしまったことも背景にあるよ。
有司専制と批判
「政治が特定の藩閥で行われている」=有司専制と大久保利通は批判されていた。
軍人・山縣有朋(やまがたありとも)や政治家・井上馨(いのうえかおる)がした汚職事件もうやむやにされ、出世は特定の藩ばかりで、黒田清隆の事件も葬られた。
このことが、不平士族や民衆から批判されていた。
「汚職政治家」
「政治の金を懐に入れて私腹を肥やしている!」
大久保利通のイメージはとても悪いものになっていたんだ。
しかし、特定の藩をえこひいきなど決してしていなかった。
影で動いていた西郷軍を支持する者たち


佐賀の乱から敬神党の乱・秋月の乱・萩の乱と不平士族の反乱が続いた時、石川県士族が続いて反乱を起こそうとしていた。
しかし、周囲に反対され実行できずにいた。
西郷隆盛の西南戦争を聞いて挙兵しようとしたが、計画をしている間に熊本城包囲の知らせを聞き中断。
西郷隆盛に共鳴していた石川県士族たちは計画を変更し、悪の高官を暗殺することを企てた。
島田一郎
元加賀藩足軽・石川県士族の島田一郎は軍事の才能があり、陸軍軍人で中尉(階級2番目)まで上りつめた。
しかし『明治六年政変』で下野した西郷隆盛の征韓論に共鳴しており、後に下野した。
明治六年政変については旧国立銀行券1円【田道将軍と元寇】に載っているよ。
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旧国立銀行券1円【田道将軍と元寇】
明治6年に発行された旧国立銀行券1円(1円札)に描かれている人物や出来事をお伝えします。 諭吉くん今日からは歴史と神話の話が盛りだくさんだよ。どら猫くん予習してきたかね? 昨日、夜の集会のあとに勉強し ...
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長連豪(ちょう つらひで)
元加賀藩の石川県士族の長連豪は鹿児島の私学校へ留学経験があり、西郷軍の桐野利秋や別府晋介と仲が良かった。
西郷隆盛を尊敬していた。
石川県士族3名
石川県士族の杉本乙菊・脇田功一・杉村文一がいた。
脇田功一は長連豪が鹿児島から帰って来た時に、西郷隆盛や桐野利秋・別府晋介の話を聞き人柄に惚れていた。
杉村文一は最年少で17歳だった。
浅井寿篤
島根県士族の浅井寿篤は、他の5名の計画に加わったのが明治11年3月だった。
2月までは警視庁で巡査として働いていたが、禁令を犯しクビになった。
紀尾井坂の変


明治11年5月14日 朝
大久保利通は2頭立ての馬車に乗り、自宅がある霞が関から赤坂仮御所へ向かっていた。
同行人は、前を走っている芳松と馭者(馬車を操る人)の中村太郎の二人のみ。
中村太郎は、大阪で捨て子となっていた時に大久保利通が救い、側においていた。
東京府麹町区麹町紀尾井町清水谷付近に来た時に事件は起こった。
6名の刺客が突然現れ、日本刀で馬の足を斬った。


前にいた芳松が先に襲撃されたが、運良く逃げ切って助けを求めに行った。
中村太郎は大久保利通を守ろうと立ち向かうが刺殺されてしまう。
6名の刺客は馬車の中にいた大久保利通を引きずり降ろした。
無礼者!!


何も武器を持っていなかった大久保利通は全身16か所も刺されてしまう。
そのうち8か所は頭部を狙って刺されていたそうだ。
血だらけになり脳が砕け、ピクピクと動いていた。
……大久保利通は死んでしまった。
満47歳だった。
暗殺犯の自首と斬奸状
暗殺犯は、高官の暗殺を計画していた島田一郎たちだった。
島田らは、すぐに新聞社に斬奸状を送り、斬奸状(ざんかんじょう)を持ち宮内省に自首した。
そして7月27日に斬罪と判決が出たその日に6名全員が打首となったのだった。
斬奸状(悪者を殺した理由)
一、国会を開かず憲法も定めず民権を制圧し政治を私物化している
二、法令がデタラメに出され政府の威信ばかりが強調されている
三、不要な土木工事で国家の金を浪費している
四、憂国の志士を挑発して内乱を起こさせた
五、外交を誤り国威を貶めている
これって今の政治のことみたいだな。
昔からこういう感じだったんだ。




そう思うだろうね。
でも少し違ったんだよ。
大久保利通暗殺後に発覚した事実
色々と批判されていた大久保利通だが、実は亡くなった後に発覚したことがあったんだよ。
西郷隆盛の手紙
亡くなった大久保利通の懐に袋が入っていた。


そこには生前の西郷隆盛からの手紙が2通入っていたそうだよ。
同郷の友人であった西郷隆盛のことをいつも想っていたのだろうね。
大久保利通の借金
「有司専制だ」「私腹を肥やしている」と言われていたが、実は逆だったんだ。
政治運営に足りない予算を大久保利通が私財から補填していたんだ。
そして8,000円も国のために借金をしていた。
これは現代では数億にもなる金額なんだよ。
正夢を見ていた
大久保利通が気に入っていた側近の前島密(まえじま ひそか)は、暗殺の2~3日前に本人から夢の話をされていた。
「昨夜、変な夢を見た。西郷と言い争って追われて高い崖から落ちたんだ。自分の脳が砕けてピクピクと動いているのがアリアリと見えた。」
と語っていたそうだ。
そして、5月14日に刺客に襲われたという一報を聞き駆けつけたところ、同じように亡くなっていたと前島密が言っていたそうだ。
虫の知らせってやつか…。




暗殺計画は警察の元に情報が入っていたんだよ。
でも「石川県人になにができる」とバカにして対策していなかったんだ。
警察の怠慢で防げるものも防げなかったなんて悲しいね。
大久保利通が乗っていた馬車の奉納場所


暗殺時に乗っていた馬車は、遺族が岡山県倉敷市の五流尊瀧院に奉納したんだ。
【五流尊瀧院 倉敷観光WEB】 https://www.kurashiki-tabi.jp/see/234/
紀尾井坂の変まとめ
簡単にまとめていくよ。
- 明治10年9月24日に西南戦争が終結した後は、大久保の政治は批判だらけだった。
- 汚職事件や殺人の罪も免れてきた政治家たちがいた。
- 西郷隆盛に共鳴する不平士族6名が高官の暗殺を企てる。
- 明治11年5月14日に大久保利通が不平士族6名に暗殺された。
- 大久保利通は私財で政治を運営していたため借金が8,000円もあった。


無念だったろうに。
オイラには不平士族の気持ちもわかるなー。
国のために一生懸命だった人が亡くなった感じだぞー。


猫よ、その通りだ。




大久保さん!今日はゲストにお越し頂きありがとうございます!
一蔵…わいに会えてわっぜ嬉しか。


…吉之助!!


大久保さんは一蔵で、西郷どんは吉之助だったんだね!
さすが幼少期から一緒なだけあるなー!感動✨


一蔵を連れてもどっ。
あいがとさげもした!


あいがとさげもした。
一緒にもどったや酒飲も。
嬉しかねー!




ありがとうございました。
あぁ、コンタクトがズレて涙が…。
コンタクトなんてしてないだろー。


余談だけど、今の自由民主党総裁・麻生太郎氏は大久保利通の末裔にあたるよ。
明治11年に発行された新国立銀行券5円【鍛冶屋とエビス】の記事はこちら。
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新国立銀行券5円 かじや5円【鍛冶屋とエビス】
明治11年に発行された新国立銀行券5円(5円札)に描かれた人物や出来事を、わかりやすくお伝えします。 諭吉くんどら猫くん、この写真の燃え盛る炎が美しいと思わないかい? 目がやられそうだぞー。この人何し ...
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参考文献:Wikipedia,逆説の日本史(西南戦争と大久保暗殺の謎),歴史がおもしろいシリーズ!図解日本史,あの偉人たちにも黒歴史!?日本史100人の履歴書
次回もお楽しみに!