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昭和6年の出来事【満州事変】をわかりやすく知る|石原莞爾の未来構想

2020年5月13日

昭和6年に起こった満洲事変をわかりやすくお伝えします。

まずは、満洲事変が起こるまでの重要な流れを知ろう!

この下の記事の『日英同盟協約~ポーツマス条約』までを見てきて欲しい。
より理解できるようになるぞ。

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では、満洲事変とは何なのか?
簡単にお伝えするよ。

満洲事変ってなに?

ピンク色の範囲が満州

日露戦争で日本はロシアに勝利。

ロシアが占拠していた清の満州~遼東半島の関東州は、日本に貸し与えられるようになった。

南満州鉄道を設立

南満州鉄道Wikipediaより引用

明治38年にロシアと『ポーツマス条約』を結び、翌年の明治39年に南満州鉄道を設立。

この鉄道会社は大日本帝国陸軍の一つである関東軍(日本軍)が管理していたんだよ。

そして、昭和6年(1931年)に事件が起こるんんだ。

柳条湖事件が起こる

マークが柳条湖

昭和6年(1931年)9月18日
満州の柳条湖付近で、南満州鉄道の線路を爆発させる事件が起こる。

関東軍(日本軍)は、こう言い放った。

「これは中国東北軍の仕業だ!」

爆破事件を起こしたのは、中国東北軍の張学良(ちょうがくりょう)らだと発表。

ちょうがくりょう

関東軍(日本軍)は嘘をついたんだ。

真の犯人は、嘘をついた関東軍(日本軍)であり自作自演だったんだよ。

作戦を企てたは

  • 板垣征四郎 大佐
  • 石原莞爾(いしわらかんじ) 中佐
柳条湖事件を計画した2人

爆破を指揮した

  • 今田新太郎
  • 花谷正

犯行した者は

  • 河本未守 中尉
  • 小杉喜一 軍曹ら

約10名ほど関わっていたと言われているが、その中心人物が中佐の石原莞爾(いしわらかんじ)だったんだ。

そう。
トップではない中佐が事件を引き起こしたんだよ。

爆破させた現場はこちらになるよ。

柳条湖事件Wikipediaより引用

なぜ柳条湖事件を起こしたか。

それは、中華民国の東北軍のせいにし軍事行動を行うためだったんだ。

当時の内閣道理大臣である若月禮次郎(わかつきれいじろう)は、事実を知り「それ以上は手を出すな」と忠告をしていた。

しかし、関東軍は若槻首相の言葉を無視して攻撃を続けたんだ。

朝鮮を統治していた日本軍も満州に集まり、紛争に参加。

若槻禮次郎首相は、「致し方ない」と関東軍の軍事行動を認めることとなる。

そして、満州を占領

この流れを満洲事変という。

石原莞爾が満洲事変を起こしたのはナゼか

柳条湖事件が原因で、武力紛争が始まり満州を占領した日本軍。

では、なぜそこまでして満州を占領する必要があったのだろうか。
下記の3点を説明しよう。

満洲事変を起こした原因と理由
・中華民国は無法地帯だった
・中華民国との満蒙問題
・対アメリカに備えるため

中華民国は無法地帯だった

大正4年(1915年)に日本が中国に対して『ニ十一ヵ条の要求』をしたのを覚えているかな?
別名『対華21ヵ条要求』ともいうよ。

ニ十一ヵ条の要求

おおまかな内容は
1,山東省のドイツ権益を日本に継承する
2,南満州と鉄道経営権の99年延長
3,かんやひょうこんす の日中共同経営
4,中国沿岸の港や島を他国に譲渡しない
5,中国政府の政治・軍事・財政・警察に日本人を採用

この流れは、大正4年の出来事にわかりやすく書いてあるので見て欲しい。

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これを期に中国国民の反日感情が高まったのだ。

日本人が中国人に虐殺されたりレイプされることが多かった。
そして、約束を守ることを一切しなかった。
(元々の性質でもあるが)

そんな無法地帯の国を放置することはできなかったんだよ。

中華民国との満蒙問題

ロシアとポーツマス条約を結んでから満州と内蒙古をめぐる、中華民国との対立が存在した。

関東軍の頭を悩ませたのが、東北軍の張学良が、南満州鉄道に並行させた鉄道を建設し始めたことだ。

本来であれば、日中で結んだ『満州善後条約』に反する行為だった。
しかし、中華民国側は無視をして建設を続けたんだ。

そんなことから、関東軍は満州を中華民国から離して統治をしたいと考えていたんだよ。

満州前後条約とは?

ロシアから日本に利権を移すことに清国(現:中国)が了承した条約。
この条約内には『南満州鉄道に併行させて鉄道建設をすることを禁止』という内容も盛り込まれている。

対アメリカに備えるため

日本陸軍の石原莞爾中佐は、
西洋はアメリカが強くなりアジアは日本が強くなると考えていた。

そのアメリカとの最終戦争をするためには、今の日本国力では弱すぎると危機感を覚えた。

日本の国力アップには、たくさんの鉄鉱石や農作物が必要になると考えた石原莞爾は、

そう言って、満州・内蒙古を日本のものにする計画をしていたんだ。

独断で満洲事変を実行

石原莞爾は第一次世界大戦後にドイツに留学し、戦争の研究をしていた。

それゆえに考察に揺るがない自信を持っていたんだ。
あとは、実行するだけ。

日本政府は、政策を『国際協調』の方針で進めていたんだよ。
他国との争いなく仲良くやって行きましょう!ということである。

そんな時に、好機が訪れた。

昭和4年(1929年) 世界恐慌の到来

世界恐慌 NYでの取り付け騒動
Wikipediaより引用

アメリカで起こっていた世界恐慌の煽りが日本にも到来し、株価が大暴落した。
日本国民は職を失い、身売りする者も出てきたんだ。

この不況に打ち勝つには満蒙問題の解決が必要だと訴えた。


そして、その解決法は初めの章で伝えた自作自演の柳条湖事件を起こすことである。

日本政府と陸軍上層に反対される

石原莞爾が中心となり、数人で会議を開いた。
最初に伝えた

  • 板垣征四郎
  • 今井新太郎
  • 花谷正
  • 河本未守
  • 小杉喜一 ら

である。

昭和6年(1931年)9月末
柳条湖付近の南満州鉄道線路を爆破させ、中華民国のせいにする流れは決まっていた。

しかし、なぜか情報が漏れて陸軍上層部に止められそうになってたんだ。

そこで急遽、9月18日に柳条湖事件を実行したのである。

ドカーーン!!(爆発音)


予定通り、線路を爆発させることに成功した。

柳条湖事件を起こしてからも、日本政府と陸軍上層は石原莞爾の計画を反対。
日本政府は『不拡大方針』を決定させた。

不拡大方針とは?

これ以上、騒ぎ(事件)を大きくしないという方針。
国際協調で進めていたので当然である。

その当時の内閣はこちら。

役職名前
内閣総理大臣若槻礼次郎
外務大臣幣原喜重郎
内務大臣安達謙蔵
大蔵大臣井上準之助
陸軍大臣南次郎

関東軍は1万人に対し、中華民国軍は27万人もいた。

普通に戦うと負けてしまう。
そこで石原莞爾は、朝鮮に在留していた日本軍を上手く巻き込んだ。

政府の意向もむなしく、石原莞爾の思惑通りに日本にいる陸軍までも動き出す。
若槻礼次郎らは反対することを 諦めた

  • 10月に錦繍爆破
  • 11月に北満州のチチハルまで攻撃

そして、石原莞爾ら関東軍は、満州を占領することに成功したのだ。


若槻内閣は関東軍の勢力を抑えることができなくなり、12月には総辞職となる。

昭和6年の国内の動きはこちらを見てみよう!

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昭和6年(1931年)12月13日

若槻礼次郎➡犬養毅へ

内閣総理大臣が交代となる。

犬養毅首相も満洲事変を解決させようとするが、関東軍の動きを止められなかった。

そして翌年の5月15日には『五・一五事件』で犬養毅首相は暗殺されていまうのだ。

満州国を建国

昭和7年(1932年)1月28日
1月28日~3月3日にかけて上海事変が勃発する。

日本人僧侶が中国人に襲撃され死亡した。
しかし、それは列国からの目を離すために板垣征四郎 大佐が仕組んだことだった。

上海事変 Wikipediaより引用

この画像は、日本軍装甲自動車隊の応戦の様子だそうだ。

昭和7年(1932年)3月1日

石原莞爾ら関東軍は、満州に『満州国』を建国した。
万里の長城を中華民国と満州国の国境線とする。


満州国皇帝には愛新覚羅 溥儀(あいしんかくら ふぎ)が就任。

溥儀は親日派であり、中華民国と満州が分離できたことを喜んでいた。

満州国の建国理念
①五族協和
日本人・漢人・満州人・蒙古人・朝鮮人が協調して暮らせる国造り

②王道楽土
西洋の力ではなく、東洋の徳による統治で国を造る

しかし、中華民国は国際連盟に「満州国を無効にしてくれ!」と強く訴え世界中にプロパガンダしたのである。


中華民国の訴えを聞いた国際連盟から派遣されたリットン調査団は


調査を受けた国際連盟は日本の満州権益を認めつつ、日本がやっていることは侵略行為だと言う。

納得の行かない日本は、昭和8年(1933年)3月27日国際連盟から脱退することになる。

満洲事変の終結

関東軍は更に、満州国の隣・熱河省(ねっかしょう)まで満州国にしようとしていた。

昭和8年(1933年)の1月から熱河作戦を開始(3月まで続いた)。
軍事行動は熱河省だけでなく河北省にまで拡大した。

北京の下にあるのが河北省

昭和8年(1933年)5月31日

拡大する日本軍の軍事行動を止めるため、国民党の蒋介石(しょうかいせき)は日本に停戦を求めた。

蒋介石は、日本が作った満州国を見てひどく感動したんだよ。

何もなかった満州が、インフラ整備され大都市へと生まれ変わっていたからだ。

《日本が満州に作ったもの》
上下水道・電気・ガス・道路・鉄道・市電・デパート

蒋介石は、「日本とはなるべく争わずに国内の安定化を優先させよう!」と、日本側の条件の受け入れや『満州国』の存在をも認め『塘沽停戦協定(たんくーていせんきょうてい)』を結ぶ。

これで、満洲事変は終結されたのであった。

石原莞爾の計画が崩れはじめる

振り返ってみよう。

石原莞爾の未来構想は
・西洋のボスはアメリカ
・アジアのボスは日本
・来たるアメリカとの戦争に備えて日本の国力を上げる!

というものを描いていた。

戦争は新たな文明や平和を生むものだと考えていたんだよ。
しかし、ある国の軍事力に気付き、考えをシフトチェンジすることになる。

昭和10年(1935年)
石原莞爾は、満州国から日本に戻り参謀本部の作戦課長に就任する。

そこで、ソ連(現:ロシア)の軍事力が上がっていたことを知るんだ。

このままでは、ソ連に簡単に負けてしまう…そう焦った石原莞爾は『重要産業5ヶ年計画』を企てた。

重要産業5ヶ年計画

5年間は戦争をせずに、日本の軍事力を上げることに力を注ぐ計画をした。

例えば
・鉄の生産を上げる
・飛行機を大量に増やす

盧溝橋事件から日中戦争へ

満州国の関東軍が、今度は内蒙古も中国から分離させようとしていた。

石原莞爾は、すぐに計画中止を指示する。
(今はそれどころではない!)


だが、昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋事件(ろこうきょうじけん)が起こってしまうんだ。

出兵する中国人 Wikipediaより引用

盧溝橋事件とは、中国兵が日本兵に向けて発泡したことをキッカケに交戦状態になった事件である。

これが原因で日中戦争が始まってしまった。

詳しくは、こちらへ。

日中戦争(支那事変)はなぜ起こったのか?歴史をわかりやすく学ぶ

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もう自分の指示ではどうにもならなくなった…と諦めた石原莞爾は、参謀本部から去ることになった。

石原莞爾についてのオススメの本があるよ。
彼が描いていたものが読める『世界最終戦論』だ。

石原莞爾に興味を持った人は、まずは本人が書いたこの本を読んでみよう!

【満洲事変と石原莞爾の未来構想】まとめ

満洲事変とは?
・満洲事変は石原莞爾が計画したもの
・日本の国力をあげるためには満州が必要だった
・柳条湖事件をキッカケに関東軍の軍事行動を開始
・満州占拠➡『満州国』を建国する
・中国プロパガンダにより国際連盟から脱退するハメになる
・『塘沽停戦協定』を結び満洲事変は終結

石原莞爾の世界最終戦論
・西洋のボスはアメリカになる
・アジアのボスは日本になる
・2国の戦争が世界最終戦争になるだろうと予想
・後にアメリカと戦うために満州事変を起こした
・ソビエト(ロシア)が軍事力を上げていることに恐怖を感じる
・軍事力を5年で上げたい
・戦争は5年間しない!
    ➡盧溝橋事件を経て日中戦争が始まってしまう

参考文献など:諸説 日本史図録,一気に読める「戦争」の昭和史,Wikipedia,世界史の窓様,NHKザ・プロファイラー

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